気づかなければ、差別を辞めることはできない。気づくことの難しさ。

2020/06/08

気づかなければ、差別を辞めることはできない。気づくことの難しさ。

今日、偶然読んだ記事が、差別についてまずは気づくことが必要ということを教えてくれる記事でした。それについてご紹介させてください。

2019年11月20日の記事ですが今、アメリカで起きていること、日本で生活する私たちは頭では分かっても、気付きづらいことが書かれていました。

差別はまさに、

“人種差別、宗教差別、女性差別、LGBTに対する偏見、年齢差別、病気に対する差別、学歴差別、体型や外見に対する差別、階級差別と、数えていくと、キリがありません。”

というものです。

そして、

“「差別に気づかないのは、差別を見逃すのと一緒です」と教授は厳しく言いました。”

とも書かれています。

差別について理解しているつもりでも、自分はしていないつもりでも、当事者にならない限り気づかないこともあります。それは育ってきた環境や出会ってきた人によって作られるものだからです。

「中にいると見えないこと」があります。そんなことを教えてくれました。

そして、差別という言葉を使って良いのかは難しいが、今年の高校野球が中止になったことで、高校球児である当事者がSNSを見て知った記事も上がっていました。これも「中にいると見えないこと」です。また、今回のようなことが起きなければ、知ることがなかったことです。

もしかしたら、知る必要がなかったことかもしれません。しかし、知ることで気づくことができたのだと思います。
高校野球だけが特別ではないということを。

差別は様々な形で無意識に起きていることを、改めて認識する記事でした。

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記事執筆:伊藤緑(広報ウーマンネット 代表)