男女平等と、個人がそれぞれ在りたい姿を求めることは隔たりがあるかもしれない

2020/07/26

男女平等と、個人がそれぞれ在りたい姿を求めることは隔たりがあるかもしれない

男女平等とはいったい何だろう? と改めて考えるニュースです。
そもそも、男性と女性という性差をなくすことはできません。そこにはやはり、男性の強みと女性の強みがあると考えています。男女平等になっても、それは外せないものですから、男性と女性をまったく同じにすることは難しいことです。

そして、もっといえば、男女という2つに分けるのではなく、個人という人で考えていけば、人の数だけ考え方や生き方があるはずです。
それをざっくりと男女平等、女性の活躍を応援、と言われてしまっても、受け入れたい女性、受け入れたくない女性がいるのではないでしょうか?

また、女性の活躍を応援するという時点で、女性を下に見ていることをずっと感じています。
アナウンサーや俳優は、女子アナと呼ばれたり、女優と呼ばれたりすることも、男女平等を感じられません。

またニュース内に以下の表現があります。

“自由な選択は生得的な性差を拡大するのだ。”

個人的な考えですが、男性女性ということで考えるよりも、個人が目指す道を閉ざさない制度ができることを望みます。

また、日本に残る「女性が活躍するためには、バックに力がある男性がいなければ難しい」という風潮も非常に残念に感じています。

無理やりな数字合わせのようにも感じてしまう、女性活躍登用です。

ジェンダーギャップ指数は、2020年の数字でも153カ国中121位の日本。本当の意味での、個人の尊重はいつくるのでしょうか?

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記事執筆:伊藤緑(広報ウーマンネット 代表)