LGBTやマイノリティへの理解を示す言葉の難しさ

2020/08/19

LGBTやマイノリティへの理解を示す言葉の難しさ

世の中には、いろんな状況で生きている人がいます。そして、誰もが自分を基準にして生きているのではないかと思います。それは、良い意味でも悪い意味でもなく、生きているのが自分である以上、自分以外を基準にすることは難しいからです。「自分を軸にして、他者を見る」そこで起きるのが自分以外の人への理解です。

「LGBTやマイノリティと言われる人への理解」について、以前よりより語られるようになりました。個人的に、その流れは世の中の人がみな理解を示す方向に向かっているというよりも、世の中の風潮に乗っているだけに感じています。あくまで個人的な意見なので、異論がある方もいると思います。

ただ、そのような流れがあることは、これまでよりも生きやすい世界になっているのであれば非常に良いことだと思います。
しかし、そういう風潮だから、思っていないけれどそういう態度をしている人や、無意識に「施し」的な行為になっている人、受ける側は明確に感じています。それによりこれまで以上に辛いのではないかと思っています。

そして、このニュースに出てくる「LGBTとか私は気にしないから、自由に生きればいい」。この言葉の無責任さ。だったら、何も言わないでほしい、と感じる当事者の方は多いのではないでしょうか?

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記事執筆:伊藤緑(広報ウーマンネット 代表)