謝罪会見の大切さが、一般的になった出来事。船場吉兆 252
2025/10/14

こんにちは。伊藤緑です。
2007年12月10日?に行われた、この謝罪会見。
この頃、今ほど広報はメジャーな職種ではありませんでした。
私は雑誌『広報会議』の前身となる『PRIR(プリール)』でライターをしていて、謝罪会見に関する取材もいくつかしました。
そして、この出来事は、多くの人に知られることになり、
企業の情報発信に関わる人間にとっては、
広報部の仕事を思い知ることになったのではないでしょうか?
キラキラ広報と同じ世界線に、謝罪会見の仕切りは広報部。司会は広報部長ということもある。
「やってしまったことを開示できる企業はどうすれば良いですか?」と専門家に質問したことがあります。
答えは、「開示するしかない」でした。
そして、SNSがより進んだ今は、怖いほどに、あの頃より隠し通せることがない時代になってきたような気がします。
「ささやき」の末に名店廃業、「船場吉兆」次男の十字架…「もてなしの心」継ごうと6坪の再出発
https://www.yomiuri.co.jp/national/20251011-OYT1T50134/
広報PR・SDGsライター:伊藤緑

